コラム4:釜山倭城をめぐる新出の古写真3題

文禄の役(第一次朝鮮出兵)で築かれた釜山倭城(韓国釜山広域市)は、韓国第二の都市釜山の繁華街近くに位置することから、植民地時代に多くの測量図や地形図が作成された。今回紹介するのは、植民地時代と独立直後に釜山倭城を写した貴重な写真3枚である。釜…

コラム:馬出みたいなもの

「馬出」と呼ばれる虎口は近畿地方には少ない。近畿地方で馬出を持つ中世・織豊期の城郭と言えば賤ヶ岳の合戦に関わる陣城群が思い浮かぶが、精々近江国止まりであり他地域ではほとんど聞かない。おそらく中国・四国・九州地方でも同様ではないだろうか。や…

コラム2:海を渡った城郭瓦~東莱倭城と蔚山兵営城~

中国・元の時代に考案された軒瓦に「滴水瓦」がある。屋根に残った雨水が凍てついて瓦が割れてしまうのを防ぐため、水切りをよくするために軒瓦の先端を尖らせた独特な形状をしている。そのうち軒平瓦は、正面から見ると立面形が木の葉状を呈している。韓国…

№45:安宅中山城(和歌山県西牟婁郡白浜町)

安宅中山城縄張図(一部、白浜町教育委員会原図を参照) 一昨年(2019年)の秋頃に嬉しいニュースが飛び込んできた。筆者の郷里の城跡が「安宅(あたぎ)氏城館跡群」として国史跡に答申された。安宅氏とは、室町時代に紀伊半島の南端に近い日置(ひき)川下流域を支…

№44:固城倭城その2(大韓民国慶尚南道固城郡)

固城倭城縄張図 固城(コソン)倭城については、当ブログ「№14:固城倭城」でも一度紹介した。固城倭城は慶長の役が勃発した1593(慶長2)年に吉川広家が普請を担当し、立花宗茂が在番したが、翌年には日本軍撤退とともに廃城となった。 昭和初期に日本の軍人・…

番外編:堀口健弐著作目録(城郭編)

■1990年代 拙稿1993「利神城の築城計画」『播磨利神城』城郭談話会 拙稿1994「周山城」「岩尾城」『織豊期城郭の瓦』織豊期城郭研究会 拙稿1995「洲本城の消長ー石垣編年の視点からー」『淡路洲本城』城郭談話会 拙稿1996「近江坂本城の湖中石垣」『愛城研報…

番外編:堀口健弐著作目録(考古編)

■1990年代 拙稿1998「高城遺跡の発掘調査」『平成9年度埋蔵文化財緊急発掘調査概報』吹田市教育委員会 西本安秀・堀口1998「第19次調査」『平成9年度埋蔵文化財緊急発掘調査概報 蔵人遺跡』吹田市教育委員会 賀納章雄・海邊博史・堀口1999『目俵遺跡ー目俵…

№43:石倉山城(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)

石倉山城縄張図 昨年(2019)年1月12日から13日にかけて、筆者が所属するもう一つのお城の研究会で、南紀勝浦方面の踏査旅行を行った。参加者はいつもの顔ぶれに加えて、今も郷土史研究をされている筆者の高校時代の事実上の師匠も特別参加するサプライズがあ…

コラム:昭和14年発行『釜山城址』について

先日インターネットで調べものをしていたら、期せずして思わぬ掘り出し物に出くわした。筆者はネット検索で城郭研究の情報収集をすることは少ないのだが、こと倭城と朝鮮考古学に関しては紙媒体の情報自体が少ないので、小まめに何か新しい情報が出ていない…

№42:2019倭城踏査速報(後編)

4月7日㈰ 曇のち雨 旅の後半戦となる本日からは単独行動となる。天気予報では「曇のち雨」の予報が出ており、時間予報でも昼前からの降り出しとのこと。この予報を信用して山城へは行かずに、国立晋州(チンジュ)博物館(慶尚南道晋州市)で情報収集すること…

№41:2019倭城踏査速報(前編)

4月3日㈬から同月10日㈬にかけて、約1年ぶりとなる倭城踏査旅行を行った。本来ならば年度末までに、有給休暇を消化する意味でも、遺構の写真映りを考えても3月中に訪韓したかったところだが、3月前半は発掘調査報告書の作成で忙しく、仕事が楽になると…

№40:安土城(滋賀県近江八幡市)

安土城縄張図:中心部(一部、滋賀県教育委員会原図を参照) 安土城(滋賀県近江八幡市)は、言わずとしれた織田信長が天下統一を目指して築いた居城であり、1576(天正4)年から築城を開始して1579(天正7)年に完成を見た。1582(天正10)年の本能寺の変で一度焼…

№39:蔚山倭城(大韓民国蔚山広域市)

蔚山倭城縄張図 蔚山(ウルサン)倭城は、倭城踏査のみならず人生の中でも忘れえない思い出の多いお城である。1999年には初の一人旅で倭城を巡り、その前年の98年には「蔚山の置いてけぼり事件」が起こった。韓国語もろくに喋れない異国の地で本隊に置いてぼり…

№38:二条城(京都市)

二条城縄張図 二条城は国宝であり世界遺産でもある。同城は昔から京都を代表する観光名所であったが、近年は海外からのお客さんも増えて大層な賑わいである。筆者は京都に住んで長いので、二条城はもはや地元のお城の感覚である。入城料を払って入ったのは10…

№37:亀浦倭城(大韓民国釜山広域市)

亀浦倭城縄張図 亀浦(クポ)倭城は、都市鉄道2号線「徳川(トクチョン)」駅から歩いて行ける“駅前倭城”である。ただし昔からそうだったわけではなく、筆者が本格的に倭城踏査を開始した1990年代後半は、まだ釜山市内には南北に貫く地下鉄1号線1本しかなかっ…

№36:赤木城(三重県熊野市)

赤木城縄張り図 赤木(あかぎ)城は、旧国名を冠して「紀伊赤木城」とも呼ばれることから和歌山県にある城跡と誤解されることもあるが、実際には三重県の城跡である。もっとも同城は、三重・和歌山・奈良の3県境が複雑に交差する非常に山深い地点に位置してい…

№35:梁山倭城(大韓民国慶尚南道梁山市)

梁山倭城縄張図 1996年の確か秋頃、梁山(ヤンサン)倭城が土取り工事で消滅するという、ショッキングな情報が飛び込んできた。さっそく筆者が所属するお城の研究会で、破壊前に地表面調査による調査を行い、その記録を残さねばという話しになって、有志で12月…

№34:安宅八幡山城(和歌山県西牟婁郡白浜町)

安宅八幡山城縄張図 筆者が生まれて始めて訪れたお城は、小学校4年生の遠足での和歌山城で、2番目は小学校の修学旅行での大坂城である。この時はそれなりに楽しんで帰った記憶があるが、現在の城郭研究には直接繋がっていない。人生3番目に訪れ、そして初…

№33:南海倭城(大韓民国慶尚南道南海郡)

南海倭城縄張り図 南海(ナメ)倭城は、大韓民国慶尚(キョンサン)南道南海(ナメ)郡南海邑船所里(ソンソリ)に所在し、釜山から見ると、順天(スンチョン)倭城に次いで2番目に遠い所に位置する倭城である。しかし釜山市内の西部バスターミナル(別名:沙上バスタ…

№32:周山西城(京都市)

周山西城縄張図 2020年のNHK大河ドラマは、明智光秀が主人公の『麒麟がくる』に決定した。筆者は大河ドラマの類はほとんど見ないのだが、それでも密かに期待していることがある。丹波地域には、明智光秀が築いたり改修の可能性が指摘されている城跡が多い…

№31:2018倭城踏査速報(後編)

(前編より続く) 5月13日㈰ 小雨のち晴 昨日の午後から降り出した雨は、夜半過ぎには本降りとなっていたが、目覚めた頃にはほぼ上がりかけていた。 本日の踏査地は、西洛東江(ナクトンガン)の左岸に位置する徳島(トクト)倭城と、右岸に位置する金海竹島(キメ…

№30:2018倭城踏査速報(前編)

2018年5月9日㈬~16日㈬にかけて、8日間(実質中6日間)の倭城踏査を行った。自身としては昨年3月以来1年2か月ぶりの訪韓であったが、今回は数字以上に久々に感じられた。当初の計画では、昨秋の10月か遅くても11月前半頃にと考えていたのだが、少々長…

№29:古武之森城(和歌山県西牟婁郡白浜町)

第1図:古武之森城縄張図 古武之森(こぶのもり)城は、1977年に地元の“城好き高校生”グループによって発見された城跡である。同城は紀伊半島の南端に近い、和歌山県西牟婁郡白浜町(当時は日置川町)に所在する。この城跡自体は、地元に伝わる江戸時代の軍記史…

№28:若桜鬼ヶ城(鳥取県八頭郡若桜町)

若桜鬼ヶ城縄張図 若桜鬼ヶ(わかさおにが)城の初踏査は、正確なメモを残していないが、確か1990年3月の、春分の日の連休を利用した頃だっと記憶している。その時は筆者の所属するお城の研究会で、1泊2日の日程で鳥取市周辺の鬼ヶ城や富浦台場、御屋敷遺…

№27:加徳倭城(大韓民国釜山広域市)

第1図:加徳倭城縄張図 加徳(カドク)倭城は大韓民国釜山広域市江西(ガンソ)区訥次(ヌルチャ)洞、本土と加徳島に挟まれた小島「訥次島」に所在する。 加徳倭城の初訪城は、筆者が所属するお城の研究会の面々らと踏査した、1998年4月28日である。この時は、…

№26:丹波岩尾城(兵庫県丹波市)

丹波岩尾城縄張図(※一部、多田暢久氏原図を基に作図) 丹波岩尾城(兵庫県丹波市)の埋蔵文化財としての正式名称は「岩尾城跡」であるが、他地域の岩尾城と区別して「丹波岩尾城」または「蛇山岩尾城」と呼ばれることが多い。「蛇山」という山名から察して、さ…

№25:倭城洞倭城(大韓民国慶尚南道巨済市)

倭城洞倭城縄張図 かつて筆者は『倭城の研究』創刊号にて、巨済島(コジェド)に残る倭城石垣の報告文を発表したことがある(拙稿1997「巨済島4倭城の石垣」『倭城の研究』1、城郭談話会)。実はこの時点で倭城洞(ウェソンドン)倭城だけは、未だ自身での訪城を…

№24:熊川邑城(大韓民国慶尚南道昌原市)

熊川邑城縄張図 熊川(ウンチョン)邑城の初訪城は1990年5月25日、筆者が所属するお城の研究会で初めて倭城を訪れた時の事である。この日は午前中に熊川倭城を踏査する予定で、チャーターしたマイクロバスに乗り込んで同城を目指したが、目的地に近づいた時、…

№23:釜山子城台倭城(大韓民国釜山広域市)

釜山子城台倭城縄張図 前回ブログ記事では釜山倭城(母城)を紹介したが、今回はその続編となる釜山子城台(プサンジャソンデ)倭城である。 釜山子城台倭城は、大韓民国釜山広域市東区凡一洞(ポミルドン)に所在する。都市鉄道1号線「凡一(ポミル)」駅から徒歩…

№22:釜山倭城(大韓民国釜山広域市)

釜山倭城縄張図 釜山倭城は、大韓民国釜山広域市東区佐川洞に所在する。同城は港町釜山の市街地に位置し、都市鉄道1号線「佐川(チャチョン)」駅から徒歩で訪城可能な“駅前倭城”である。 釜山倭城を最初に訪城したのは、1996年12月23日である。この時は朝鮮…