№45:安宅中山城(和歌山県西牟婁郡白浜町)

安宅中山城縄張図(一部、白浜町教育委員会原図を参照)

 一昨年(2019年)の秋頃に嬉しいニュースが飛び込んできた。筆者の郷里の城跡が「安宅(あたぎ)氏城館跡群」として国史跡に答申された。安宅氏とは、室町時代紀伊半島の南端に近い日置(ひき)川下流域を支配した土豪で、熊野水軍の一派でもあった。まず安宅本城、八幡山城、土井城、中山城、要害山城が答申され、この他にも答申から外された大野城、勝山城、大向出城は追加登録への待機となった(『紀伊民報』2019年11月16日付け)。翌2020年3月に国史跡に指定された。

 この付近の城跡は、筆者が中学・高校生だった1970年代後半頃、ほとんど遊び場のような感覚で何度も登城した経験がある。当時はまだ中世城郭の書籍も情報もほとんどなかった時代で、学校の先生から聞いた僅かな情報を手掛かりにして、自分たちで登り口を見つけて登ったものであった。そのため件の城館跡群は誰よりも詳しい自負があったので、喜びもひとしおであった。

 和歌山県下の国史跡は近畿地方の中でも群を抜いて少なく、当時は和歌山城と新宮城のみで、中世城郭は一つも無しというお寒い状況であった。今回国史跡に指定された城郭群は、一つ一つはいずれも小規模だが、保存状態が良く、なおかつ狭い範囲に集中して残っている点が評価されたようだ。

 当町はお世辞にも文化財調査が進んでいたとは言えなかったが、合併に際して町内の文化財調査を要望する動きが官民から沸き起こった。それを受けて城跡の測量・発掘調査をはじめ、仏像や古文書などの調査も併せて行われ、それらの調査結果は数度にわたって開催された「熊野水軍シンポジウム」において報告されれた。

写真1 中山城遠望(手前の小山)

 今回紹介する中山城は、埋蔵文化財としての正式名称は「中山城跡」であるが、他地域の中山城と区別する意味で、近時では安宅中山城とも呼ばれている。城跡は環流地形が作りだした小盆地の中央に位置し、標高40m(比高30m)の細長い独立丘に占地する(写真1)。江戸時代の軍記物『安宅一乱記』によると、城主は安宅氏の被官である田井(たのい)氏の居城と伝えられる。

 当城の縄張りは、南紀としては珍しい館城形式である。土塁囲みの方形の曲輪を二つ並べて、東斜面を除く三方に2重の堀と帯曲輪を巡らし(写真2)、特に南尾根筋は堀切が3重となってより遮断性が強い。2012年には日置川町(現・白浜町)教育委員会滋賀県立大学が共同で測量と遺構確認の発掘調査を行っており、その結果様々な遺構や遺物が出土した(白浜町教育委員会2013『平成25年度白浜町内遺跡発掘調査概報』)。

 Ⅰ郭が最高所で主郭であり、西辺と南辺に土塁を巡らす。この土塁は発掘調査でも石積みは確認されず、築城当初から土塁であったことが判明した。曲輪内から2条のピット列が検出され、柵列か建物の一部の可能性があるが、曲輪の主軸と一致しないことからなお検討の余地がある。Aが虎口で、石積みを施したスロープを下ってⅡ郭へと至る。

 Ⅱ郭の西辺と北辺に土塁が巡り、土塁外周と内周には鉢巻き状の低い石積みが残る。Ⅱ郭を巡る土塁上面がⅠ郭の曲輪面と同じ高さとなっているが、Ⅰ郭を出た守備兵がそのままⅡ郭の土塁上面を移動して防戦にあたることが可能となってる。なおⅠ郭とⅡ郭とは高低差が1mほどで、両者間を塁濠で区画されていないので、2つの曲輪と言うよりも主郭の上段と下段のような関係であろうか。

 Bは削平の甘い虎口受け風の小曲輪で、南端で礎石と見られる平石が1基検出されている。ここが大手木戸口だとすれば、あえて傾斜の急な東斜面を登城ルートに設定したのであろう。

 発掘調査では中国製の染付・青磁白磁、国産の瀬戸美濃系陶器・備前焼・土師器などの土器・陶磁器類のほか、鉄釘・土錘・飛礫(投石)などの遺物が出土した。報告書によると、遺物の年代は16世紀後半を下限とする。遺物は少なめで「館城」であっても生活の場ではなかった可能性を指摘するが(白浜町教育委員会2013『平成25年度白浜町内遺跡発掘調査概報』)、一通りの生活用具は揃っている印象である。

写真2 西斜面の帯曲輪

 和歌山県内には、安宅氏城館跡群よりももっと大きな城跡もあれば、もっと優れた縄張りの城跡もある。ではなぜ当城館跡群が国史跡に指定されたかと言えば、非常に泥臭い物の言い方だが住民と行政側の熱意の差であろう。どんなに優れた城跡や遺跡であっても、国から史跡に指定しませんか、とはなかなか言ってはこない。それを動かしたのは、やはり熱意以外に他ならないのである。近年はボランティアによる語り部なども結成して活動されているようで、追加の指定も含めてこれからも目が離せない。筆者も執筆活動を通じて、ささやかながら部外からの援護射撃を行っていきたい。

 (文・図・写真:堀口健弐)