№47:倭城オフ会2025(後編)

5月3日 曇のち雨

 目覚めると霧雨のような弱い雨がパラついていた。ホテルを出て集合場所に向かう頃には、雨は一旦上がっていたが、また今にも振り出しそうな雲行である。本降りの雨なら山城には登らずに、平地の朝鮮邑城や博物館巡りと決めていたが、雨もやんでいることだし、一か八かの掛けで本日の目的である巨済(コジェ)島を目指すことに。昨日同様に都市鉄道1号線と巨済行きの市外バス(急行バス)を乗り継いで、「グァンポ」バス停で下車。その後徒歩で30分以上歩いて、本日の目的地である長門浦(チャンムンポ)倭城を目指す。

写真1 長門浦倭城天守台(仮称:山腹曲輪群)

 同城は長木(チャンモク)湾の湾口に位置する、標高106mの岬に築かれている。1593(文禄2)年に、蜂須賀家政と生駒清正が築いた。昨日踏査した安骨浦倭城も変わっていたが、こちらはもっと変わっていて、完全に独立した縄張りが二つあってそれぞれに本丸があり天守台を設け、それらを竪土塁で囲郭する、まるで二世帯住宅のような城郭である。こんな縄張りの城も国内では絶対にお目にかかれない。同城は慶尚南道の史跡に指定され、標高の低い方の曲輪(仮称:山腹曲輪曲輪群)は、数年前に訪れた時よりも奇麗に除草作業が行き届き、説明板も新しくなっていた(写真1)。

写真2 長門浦倭城(仮称:山頂曲輪群)

 一通り見終わったところでいよいよ雨が降り出し、木陰で傘を差して暫く待機とする。このまま引き上げようかとも思ったが、雨足が少し弱まったので傘を差したまま山頂の曲輪(仮称:山頂曲輪群)を目指す。こちらは全く整備の手が及んでいないが、ブッシュと言うほどでもないので、雑木の隙間を縫うように傘を差したままで踏査を決行する。こちらの遺構は地元の人には認知されていないのか、それともこの箇所は史跡指定の範囲外なのだろうか。それでも遺構はしっかりと残っていて見応えがある(写真2)。

写真3 テジクッパ ※ウサギの人形は付いていません

 下山して麓の食堂で遅いお昼ご飯をいただく。雨に打たれて身体が冷えたので、何か温かい食べ物をと思ってテジクッパのお店へ。クッパとは雑炊のような食べ物で、元々はB級グルメだったが、現在では専門店もあるほどだ。韓国国内でも地域によりスープや具材が異なる。釜山を含む慶尚道では、薄味の豚骨スープに豚のバラ肉が具に入る。ここにご飯を投入するのだが、普通は白ご飯のところをこのお店は赤飯で、ちょっとお得感があった(写真3)。マシッソヨ~(美味しい)。

 

5月4日 晴れ

 昨日とは打って変わって“日本晴れ”の日より。倭城オフ会最終日は、都市鉄道2号線「徳川(トクチョン)」駅から徒歩にて亀浦(クポ)倭城へ。同城は標高100m(比高90m)の小高い丘に占地し、1593(文禄2)年に小早川隆景立花宗茂らが築城と守備を担当した。

写真4 亀浦倭城

 亀浦倭城は釜山国際空港から近く、電車で簡単に移動できることから、韓国旅行の最終日に訪れることが多い。同城は釜山市の史跡で市民公園となっているが、近年一部の農家が不法占拠して城内を耕作地化している。管轄の釜山市も退去するよう警告しており、現地のテレビニュースによると、近い将来本格的な史跡公園化する構想があるようである(写真4)。

 下山後、近くの亀浦市場を散策した後、“最後の晩餐”にミルミョン(釜山冷麺)を食べようということになり、市場のアジュンマ(おばちゃん)にミルミョンの美味しいお店を尋ねたところ、わざわざお店の前まで案内していただいた。カムサハムニダ~(ありがとうございました)。

写真5 ミルミョン(釜山冷麺) ※ウサギの人形は付いていません

 ちょうどお昼時だったが、我々が入店するとさすがに人気店らしく、次々とお客さんが押し寄せて見る見るうちに満席となった。伝統的な朝鮮冷麺はそば粉やイモで作るが、ミルミョンは小麦粉で作るのが特徴。これは朝鮮戦争直後に冷麺の原材料が不足した際、在韓米軍から放出された小麦粉で代用したのが始まりとされている。麺が小麦粉なので、見た目は素麺やラーメンの細麺に近いイメージだ(写真5)。

 お腹も膨れたところで、空路での帰国組を空港まで見送って、大きなトラブルも無く倭城オフ会は無事に終了することができた。今年のオフ会は、晴と曇のち雨の日とが交互に繰り返して、目まぐるしくい天候が変わる生憎の天候だったが、それでも丸一日雨の日が無かったのはせめてもの救いだった。 

 個人的には、これまで何度も(たぶん10回以上)通い慣れた倭城であっても、見る人の目が変わると訪れるたびに新たな発見があり、大変収穫が多かったのと同時に、グループでの踏査の有用性を改めて実感した踏査旅行でもあった。でも来年はもう無いかな?それともまた有るのかな?

(写真・文責:堀口健弐)