№36:赤木城(三重県熊野市)

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赤木城縄張り図

 赤木(あかぎ)城は、旧国名を冠して「紀伊赤木城」とも呼ばれることから和歌山県にある城跡と誤解されることもあるが、実際には三重県の城跡である。もっとも同城は、三重・和歌山・奈良の3県境が複雑に交差する非常に山深い地点に位置している。

 
 筆者は南紀の出身で今も実家があるが、赤木城は永らく“近くて遠い城跡”であった。織豊系城郭の縄張りや石垣を研究テーマとしている者としては、是非とも訪城して資料化したいところだが、交通の便が悪そうでそれまで二の足を踏んでいた。しかしどうしても訪城したい想いが募り、意を決して熊野市役所紀和庁舎に電子メールでアクセス手段を問い合わせてみたところ、後日、大変丁寧な返事が返ってきた。
 
 それによるとバスの便はあるにはあり、JR新宮駅前から出ていて終点は目指す赤木城のすぐ近くらしいが、便数は1日僅かに1便で、しかも終点からの折り返し時間が30分ほどしかないとのこと。またタクシー利用の場合、新宮駅から往復2万円近くかかるとのことであった(情報は2012年当時のもの)。今日LCC利用だと、関西空港から韓国・釜山までの往復航空券が2万円でお釣りがくる時代に、である。
 
 そのような状況で訪城も夢のまた夢かと思われていたが、“持つべきは何とか”で田舎の旧友で和歌山城郭調査研究会の会員でもある城友に、2013年のお正月休みを利用して自家用車で一緒に踏査して頂けることとなった。現地に到着するやいなや、もう一生訪れる機会がないかもしれないと思うと、冬場の早い日没に間に合わせるべく、持参した昼食を摂る時間も惜しんで縄張り図作成に取り掛かったのであった。

さて赤木城三重県熊野市紀和町に所在するが、平成の合併前は「三重県南牟婁郡紀和町」と呼ばれていた。城跡の眼下を流れる赤木川を下ると、途中から本流の熊野川と合流して太平洋に注ぎ、地理的には下流和歌山県新宮市側との結びつきが強い地域である。

 
 当城は1586(天正14)年、地侍が起こした天正北山一揆の平定後の1589(天正17)年に築城された。築城者を特定する一次史料はないが、当時、藤堂高虎が統治を任されていたことから、藤堂の築城と見る向きか趨勢である。
 
 また1612(慶長19)年には慶長北山一揆が勃発し、この時にも同城が再度利用された可能性が指摘されている(前千雄1980「赤木城」『日本城郭大系』10、新人物往来社)。ただし石垣遺構を見る限りでは天正年間止まりであると思われ、仮に慶長北山一揆で再利用されたとしても、大規模な改修はされていないと考えられる城跡は、標高230m(比高30m)の通称「城山」に占地する。縄張りは小規模ながらも、全山を石垣で固めた総石垣造りとし、ちょうど“天空の城”として有名な竹田城(兵庫県朝来市)をハーフサイズにしたような印象である。ただし地表面観察でも発掘調査でも瓦は見つかっていないことから、屋根は板葺や桧皮葺のような構造であったと思われる。

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写真 Ⅱ郭から主郭をのぞむ(植本夕里氏撮影)
 Ⅰ郭が主郭で、AとCの2か所に横矢掛かりの張り出しを設けている。天守台は存在しないが、特にAは位置的に見て天守相当の櫓が建つに相応しい場所である。またCは隅櫓状に突出し、2方向の側面に対して射撃を可能にしている。南側に主郭への唯一の出入り口となる虎口Bを開口するが、内枡形と外枡形を組み合わせた複雑な形状となっている。

 

 Ⅱ郭の虎口Dは内枡形であるが、上下の曲輪間で結構な段差がある。おそらく往時は、木製の階段のようなものを設置して昇降していたのであろう。Ⅲ郭には大手門相当の虎口Fを開口する。ここからⅠ郭まで4回折れて進むことになり、小規模な城域にもかかわらず導線を巧みに配して、横矢を掛ける工夫がなされている。

 
 Ⅰ郭の背後にはⅣ郭を置き、Ⅱ郭と犬走りで連結することで、主郭を介ぜずに前後曲輪間の移動を可能にしている。その先端部には、1条の堀切を設けて尾根筋を遮断している。
 
 Ⅴ郭には小さな石組の枡状遺構Gが残る。Ⅵ郭は、両脇を尾根に囲まれた谷間に3段の削平地を設けている。発掘調査により竈が出土していることから、ここが平素の生活の場であり、山麓居館的な空間であったとみられる。
 
 このように当城は、小規模な城域にもかかわらず、何度も折れる枡形虎口や、横矢掛かりの張り出しなど、非常に純軍事的な匂いのする城郭である。まさに一揆平定後の当地に睨みを効かすために、ここに築城されたことを雄弁に物語っている。
 
 赤木城は、晩秋や早春の頃になると雲海が発生することから、近年“第二の天空の城”として脚光を浴びつつある。“自称”城郭研究家としてはマイナーな城跡が全国区になることは嬉しい反面、観光客が増え過ぎて安土城(滋賀県近江八幡市)や竹田城のように立ち入り禁止区域が増えてしまうと、研究活動そのものにも支障をきたしかねず、それだけは御免こうむりたいものである。
(文・図・写真:堀口健弐)