№21:吹城(兵庫県篠山市)

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吹城縄張図
 
 もう昨年のことになるが2016年11月18日に、筆者が所属するお城の研究会と、当会と友好関係にある関東のお城の研究会とで、兵庫県篠山市に所在する吹(ふき)城を踏査した。
 
 この時は集合時間の関係もあり、吹城の山頂に着いた時点で、時計の針は午後1時を指していた。晩秋の夕暮れは早く、午後4時には下山を開始せねばならないので、実質的な滞在時間は3時間程度である。縄張り図を描くのが遅い筆者は、頑張ってもやっと半分のできと言ったところであった。
 
 そこで図面が完成しなかった城友達の車に便乗させてもらって、早くも1週間後の同月26日に再度訪城を果たした。この日は丸1日を図面作成に充てることができ、なんとか縄張り図を完成させることができたのであった。
 
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写真1:吹城遠望
 
 吹城は兵庫県篠山市に所在し、標高289m(比高90m)の独立峰「東城山」に占地する(写真1)。当城の近くには、天下普請で藤堂高虎が築いた篠山城や、戦国期に丹波国を支配した波多野氏の居城の八上城など、有名な城郭もいくつか所在するが、当地域は奥丹波でも城郭分布の密度が濃い地域である。
 
 吹城は、波多野氏の家臣である井関氏の持ち城とされ、1578(天正6)年の明智光秀丹波攻めで落城したとされる(藤井善布1981「吹城」『日本城郭大系』12、新人物往来社)。
 
 縄張りは主郭を頂点にして、大堀切を挟んだ東西の尾根上に曲輪を配置し、要所に堀切や竪堀を掘削している。Ⅰ郭が最高所で主郭である。竪堀Aは城道に対して食い違い状に開口することから、参加者からは高く評価されていた。ただ短い方の竪堀は非常に浅いもので、遺構か否かの判断に迷うほどであった。
 
 Ⅰ郭から相当な落差をもって西尾根に曲輪を連ね、Ⅱ郭が尾根上の小ピーク上に位置する。周囲に低い土塁を巡らすが、曲輪の削平は甘くて尾根鞍部に向かって緩く傾斜する。尾根先端部は堀切で遮断し、さらにその外側にも3条の竪堀を放射状に掘削する。
 
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写真2:大堀切
 
 城域を東西に二分する大堀切は、クランク気味に折れる格好で掘削されていいる(写真2)。Ⅲ郭の南端には、堀切に突出する恰好で武者隠し(塹壕)を設け、堀底を攻め登ってくる敵兵に対して、弓や鉄砲などの投射兵器で迎撃できる位置にある。
 
 そのⅢ郭は、現在曲輪面いっぱいに上水道施設が建ち、法面もコンクリート製の擁壁に変わっている。おそらく当曲輪は、地中深くまで攪乱を受けているものと思われる。
 
 総じて当城は、土塁は低くて、大堀切を除くと堀幅も狭く、また曲輪内の削平も甘い。それでいて切岸はしっかりと造り、縄張り的にも何か技巧的なことをやろうとする意図が見て取れる。しかし曲輪の削平が甘いと、現実問題として建物も建てづらいだろうから、果たして地域支配拠点の城なのか、それとも陣城のような純軍事的な城なのか、いかに評価すれば良いのか判断に迷うところである。
(文・図・写真:堀口健弐)