№21:吹城(兵庫県篠山市)

吹城縄張図 もう昨年のことになるが2016年11月18日に、筆者が所属するお城の研究会と、当会と友好関係にある関東のお城の研究会とで、兵庫県篠山市に所在する吹(ふき)城を踏査した。 この時は集合時間の関係もあり、吹城の山頂に着いた時点で、時計の針は午…

№20:2017倭城踏査速報

2017年3月16日㈭から同月21日㈫にかけて、6日間(実質中4日間)の倭城踏査を行った。今回の主たる目的は、昨秋に縄張り図が未完成となっていた子馬(チャマ)倭城に残る日本式遺構の図化と、それに加えて文禄・慶長の役の舞台となった、朝鮮王朝側の城郭の縄…

№19:新宮城(和歌山県新宮市)

新宮城縄張り図 新宮城は和歌山県新宮市に所在し、別名を「丹鶴(たんかく)城」または「沖見(おきみ)城」とも呼ぶ。JR紀勢線「新宮」駅からだと、徒歩で15分程度の場所である。現在は「丹鶴城公園」となり、近年、国史跡に指定された。 前回ブログ(№18:機…

№18:機張倭城(大韓民国釜山広域市機張郡)

機張倭城縄張図 機張(キジャン)倭城は、釜山市の郊外に位置して日本海を望む、釜山広域市機張郡機張邑竹城里(チュクソンニ)に所在する。機張と言えば、近時では日本の観光ガイドブックでも「キジャンの水産市場」として紹介されていて、カニ料理がたいそう名…

№17:天王山山崎城(京都府乙訓郡大山崎町)

山崎城縄張図 天王山山崎城(以下、山崎城と記す)は、大阪府境に近い京都府乙訓郡大山崎町に所在し、標高270.4m(比高240m)の天王山に占地する。当城は、あくまでも「天王山」として国史跡に指定されているらしい。 筆者は大学入学以来京都を居としているの…

№16:2016秋・倭城踏査速報

今春に引き続き、2016年11月2日㈬から同月6日㈰にかけて、5日間(実質中3日)の倭城踏査を行った。今年は秋の深まりが早く、筆者の住む関西では11月の声を聞く前から早や晩秋の佇まいであった。韓国入国の初日は少し肌寒く感じられたほどであったが、翌日…

№15:島城(京都府南丹市)

島城縄張図 島城は福井県境に近い、京都府南丹市美山町島に所在する。同所は平成の大合併以前は、北桑田郡美山町と呼ばれていた所である。今も茅葺屋根の古民家が残る「かやぶきの里」として有名で、近年は観光資源としても力を注いでいる。当地域一帯はかな…

№14:固城倭城(大韓民国慶尚南道固城郡)

固城倭城縄張 「倭城の中で一番好きな城は?」と問われれば、筆者は登り石垣が圧巻の西生浦(ソセンポ)倭城でも、枡形虎口が連続する熊川(ウンチョン)倭城でもなく、残りの悪い固城(コソン)倭城や東莱(トンネ)倭城が思い浮かぶ。今回紹介する固城倭城は、現存…

№13:周山城(京都市)

周山城縄張図 周山(しゅうざん)城は丹波を代表する屈指の山城であり、また明智光秀と言う歴史上有名な戦国武将の築城でありながら、一部の城郭研究者・愛好家を除くと未だ知名度が高くない。もし石垣が崩れずに残されていたならば、おそらく但馬竹田城にも匹…

№12:西生浦倭城(大韓民国蔚山広域市蔚州郡)

西生浦倭城縄張図 「生涯のうちに一度は見ておきたいお城は?」と尋ねられれば、筆者は迷うことなく西生浦(ソセンポ)倭城の名を挙げる。決して同城が倭城の中で一番好きと言うわけではないのだが、遺構の保存状態に加えて、縄張りの巧妙さや見栄えの良さなど…

№11:神田城(和歌山県西牟婁郡すさみ町)

神田城縄張図 神田城は、紀伊半島南部の和歌山県西牟婁(にしむろ)郡すさみ町神田に所在し、北は温泉で有名な白浜町と、南は潮岬のある串本町とに挟まれる位置にある。 初訪城の日時は記録していないので分からないが、筆者が大学の春休みで実家に帰省中だっ…

№10:東莱倭城(大韓民国釜山広域市)

東莱倭城縄張図 東莱(トンネ)倭城は、釜山広域市東莱区に所在し、標高105m(比高75m)の望月(マンウォル)山に占地する。当城が占地する望月山は、山火事防止の措置から1年間のうち11月1日から翌年5月31日までの、実に7カ月間が門扉を閉ざして入山禁止と…

№9:石垣山一夜城(神奈川県小田原市)

石垣山一夜城縄張図 初めて石垣山一夜城を訪城したのは、忘れもしない1990(平成2)年8月6日のことである。筆者が初参加となった全国城郭研究者セミナー3日目の見学会にて、小田原城、石垣山一夜城、山中城を訪れた時のことである。 セミナー2日目のシン…

番外編:『戦国の山城大全』掲載の周山城縄張図盗作について

周山城縄張図(筆者作成) 『歴史人』№101:戦国の山城大全の縄張図 雑誌『歴史人』№101:戦国の山城大全(2019年、KKベストセラーズ)の56頁「周山城」の縄張図で、「近畿の名城を歩く(吉川弘文館)を参照して作成」とあるが(同書の作図はF氏)、この図は間違…

№8:順天倭城(大韓民国全羅南道順天市)

順天倭城縄張図 順天(スンチョン)倭城は、釜山広域市より西方へ130km余りの全羅(チョルラ)南道順天市海龍(ヘリョン)面新城(シンソン)里に所在し、倭城築城網の中では最西端に位置する。 当城は、全羅道記念物第171号に指定されている。1597(慶長2)年、後世…

№7:要害山城(和歌山県西牟婁郡白浜町)

要害山城縄張図 要害山城は、和歌山県西牟婁郡白浜町(世間で言う南紀白浜)に所在する。この白浜町にはもう一カ所、JR白浜駅の裏山に同名の「要害山城」があって頗る紛らわしい。そのため当城は、別名の「馬谷(うまんたに)城」の名で呼ばれることもある。 …

№6:2016春・倭城踏査速報(後編)

6月1日㈬ 晴 本日は遂に、今次踏査旅行の最大の目的である東莱(トンネ)倭城の踏査である。 チュンニョルサから東莱の街並み望む まずは、丘麓に祭られている忠烈祠(チュンニョルサ)へ。「忠烈祠」とは、文禄の役(壬辰倭乱)における「東莱邑城の戦い」で、…

№5:2016春・倭城踏査速報(前編)

5月27日㈮から6月5日㈰にかけて、9泊10日(実質中8日間)の倭城踏査を行った。筆者自身としては実に1年半ぶりとなる韓国で、前回からは少々時間が空いてしまった。今年の春の大型連休は例年になく暦の並びが良くて、筆者の勤務形態だと少し休暇を取得す…

№4:泗川倭城(大韓民国慶尚南道泗川市)

泗川倭城縄張図 泗川(サチョン)倭城は、釜山から見て西方90㎞ほどの泗川市に所在する。1597(慶長2)年に長宗我部元親・毛利吉成が普請担当し、島津義弘・忠恒が在番した(黒田慶一1996「巨済島の倭城」『倭城の研究』1、城郭談話会)。泗川倭城は、現地では船…

告知:2019年度 城郭談話会特別例会

1/2 2/2 ※当サイトでは申込み代行は行っていません。参加を希望される方は、各人でお申込み頂くようお願いします。 管理人敬白

№3:但馬竹田城(兵庫県朝来市)

但馬竹田城縄張図 今や“天空の城”とか“日本のマチュピチュ”とか形容され、すっかり有名過ぎるほど有名になってしまった但馬竹田城。同城はいつの頃からかメディアで紹介されることが多くなり、近時はテレビCMにも登場するなど、城郭愛好家ならずとも広く知…

№2:旧永登鎮城(大韓民国慶尚南道巨済市)

旧永登鎮城縄張図 今回報告するのは、前回の続編とも言える旧永登鎮城(クヨンドゥン)鎮城である(*城郭談話会編『倭城の研究』1では「旧永邑城」と紹介したが、正しくは旧永登鎮城であり今回より呼称を変更する)。 当城は韓国巨済島の北端に位置する。永登…

№1:永登浦倭城(大韓民国慶尚南道巨済市)

永登浦倭城縄張図 当ブログの最初の報告は、韓国の巨済(コジェ)島に残る永登浦(ヨンドゥンポ)倭城である。 永登浦倭城は巨済島の北端に位置する。同島は釜山にほど近い韓国で2番目にに大きな島で、本土との間が内海「鎮海(チネ)湾」となり、リアス式海岸が…